アテクシのTwitterから 2020/09/17 15:20 Share on Facebook Copy URL Report アテクシのTwitterから一部訂正を加えつつ俺はこう思うのよ。否定と意見は違うと。相手の意見と違う考えをぶつけると「攻撃された」と認識される事が多いと感じていた。昨日鍵垢の人と話をしていて気が付いたのは「日本人は議論という認識が乏しい人が多い」異なる考えから己の認識を広め多くの考えを知る。何故相手がその考えなのか根拠を知らねばならない。自分が何故その考えなのか根拠を持って示さねばならない。世の中には多くの考えがある。曖昧で流動的な理由は確固たる根拠ではない。考えと視野を広げるという事は議論し多くの根拠を知る事だと思っている。議論という認識がないからこそ異なる意見をぶつけられると「攻撃された」と認識し議論ではなくただの馬鹿げた言い合いになるのだろう。議論とは決して「相手を論破する事」を目的とはしない。相手の意見の根拠を知り、その根拠の問題点を相手に問う。その意見の正当性を知らねばならぬのだ。相手の考えがどのように組み立てられた上にその意見があるのかを知らねばならない。相手の組み立てた考えの行程や根拠に納得してこそ、初めて「その意見は一理ある」となるのだ。具体的かつ理論的ではない理由は従う意味を持たない。また議論という認識がないものが異なる意見をブツケてくる場合は「否定という攻撃をしてきている」のかも知れない。そういう場合は相手に明確かつ理論的な理由の有無を聞けば良い。曖昧かつ理論的ではない理由を述べた場合「お話にはならない」のだ。最初から相手はこちらと話し合う気などないのだから。長文失礼美しき金子弌大投手を添えてwガラスのメンタルと不死に近い復活力を持つ者としては人生の乗り切り方ってのはさ考え方一つだなと思う訳ですよ。鍵垢の人とはもう20年近いネットのお付き合いになるのだろう